# いくつになっても多分一生つきまとう劣等感
xxxな時はこうすべきだ、とか。なんでxxxしないんだ、とか。 数えればキリがない程、自分の人生は後悔の連続だった。
別にわざと悲観的になろうとしてるわけじゃないし、 その時その時では一生懸命に意思決定をしてきて今日に至る。
そういった意味では別に後悔なんて無いし、あの時ああしてれば、今頃ナナメウエな人生を歩めてたとも思わない。
その時に自分なりに最善の努力をして、自分なりに頑張ってきたつもりだ。
でも。それでもだ。
やっぱり世の中には、凄い人はいっぱいいて、自分からしたら余裕があるように見えてしまう。
別に何かを比べても仕方ないし、この歳になっては、単純に努力した量の差でしか無かったり、 自分自身の器の大きさというか、イザっていう時にどれだけリスクを取れるのか?っていうだけの話だったりするのかもしれない。
それでも。。っていう話で。
別に自分が何者でもないっていうか、小物でしかないことはガキの頃からわかってたけど、 この歳になって、改めて、自分が何者でも無いっていう事実が重くのしかかってくる。
何回転職をしようが、学歴を重ねようが、自分の人生は、自分が努力してきた結果に他ならない。
今、40歳だけれども。
もし、これからあと半分残された時間があるのだとしたら。
どれだけ世の中に貢献していけるのかどうか。
やっぱりそれだけ考えて生きていきたい気がしてくる。
幸い、今の仕事は、それに直結するかどうか?って言われたら、 エンドユーザーにも、開発者にも、ビジネスオーナーにも、 ステークホルダー全てに、良い影響を与えられるモノなんだと思う。
改めて、自分がどういう軸で自分の身の振りをしてきたか?って考えたら、 ひとえに、微力ながら、ちょっとでも世の中の役に立ちたいっていうだけの話であって。
別に、ちょっとしたお金がどうだ、とか。ちょっとした役職がどうだ、とか。 そういうんじゃないんだよねっていう話であって。
だとしたら、自分の中での軸は明確であって、どんなに酔っ払っても、どんなに美味しそうな話であっても、自分自身の身の振りは自分の価値基準で決めるんだって考えたら、なんかつっかえてたモノがスッとなくなったような感覚がした。
いくつになっても、どんな立場になっても、やっぱりブレたくない、というか。
自分自身を見失ってみっともない行動をするようなオッサンにはなりたくない。そして、成長意欲に溢れる若者には、それに見合った機会を与えられるようなオッサンでありたい。
いつでもこの文章を見返せるように、インターネット上に載せておこうかな、と思ったりしました。
ろくに推敲もせずに申し訳ございませんが、今はこんな感じってことで。